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涅槃像

はいどーも!さとるです。

前回の仏教記事では「ゴータマ・ブッダの生涯」について簡単に解説してみましたが、今回はブッダが亡くなった後の「仏教」がどうなったか?についてご紹介します。

さとる
2500年分の歴史をさらっと解説するっスよ!
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ブッダ亡き後の仏教ヒストリー

涅槃像
▲金ピカ仕様のブッダさん

ゴータマ・ブッダの生涯

紀元前5世紀頃、現在のネパール南部に生を受けたゴータマ・シッダールタは、王族の身分として何不自由のない暮らしをしていたものの、真理を求めて29歳の時に出家し、35歳の時に悟りを開き「ブッダ」("Buddha"=目覚めた人)となります。
その後、45年間インド各地で教えを説き続け、80歳の時に亡くなりました。

以降、弟子たちによって語り継がれてきた教えが「仏教」です。

さとる
中国に伝来した際、ブッダを漢字にしたものが「仏陀」となり、「仏陀の教え」なので「仏教」と呼ばれます
いぬ
英語では"Buddhism"(ブッディズム)と言うワン

原始仏教時代:ブッダのことばをまとめましょう

修行僧
▲タイ(上座部仏教圏)の修行者たち

ブッダ亡き後、弟子たちは師の教えを後世に伝え続けようと、自分たちが見聞きしたことを確認し合うために一堂に会します。

さとる
これを結集(けつじゅう)と言い、第一回目なので「第一結集」と呼びます

この「第一結集」では、ブッダが説いた内容を以下の3つに分類しました。

  • 経蔵(きょうぞう)・・・ブッダの教えをまとめたもの。経典。
  • 律蔵(りつぞう)・・・出家者が守るべきルールをまとめたもの。
  • 論蔵(ろんぞう)・・・経蔵・律蔵に関する注釈書。解説本的な感じ。

この3つをまとめたものを「三蔵」と呼びます。

ちなみに、「西遊記」には三蔵法師というキャラクターが出てきますが、「3種類の蔵に精通した僧侶」という意味で、彼自身の名前ではありません。

いぬ
西遊記の三蔵法師は「玄奘(げんじょう)」という名前だワン

また、「第一結集」でまとめられた三蔵は口伝によってのみ伝承され、文字として残すようになるのは100~200年ほど過ぎた後のこと。それまではひたすら暗記で覚えていたようです。

さとる
ぼくなら3日で忘れる自信があります
いぬ
さとるは昨日の晩ごはんも覚えてないワンね

部派仏教時代:意見の相違で分かれちゃう

ブッダが亡くなって100年ほど過ぎた後、解釈の違いによって意見が分かれるようになっていきます。

さとる
ぼく的には、よく100年も保ったものだなぁと思います

弟子たちは教義を再確認すべく「第二結集」を行いますが、ここで解釈の違いが決定的なものとなったようで、仏教教団は「上座部(じょうざぶ)」「大衆部(だいしゅぶ)」の2つに大きく分かれることになります。

このことを「根本分裂」といい、その後、2つの部派からさらに細かく分かれていって20ほどに分かれたとされています。

この時代のことを「部派仏教(ぶはぶっきょう)」時代と呼びます。
仏教教団で修行する目的は同じにも関わらず、ちょっとの意見の違いで派閥を分けていくなんて、どこかの国の政治家さんのようです。

大乗仏教時代:修行なしでもすべての人を救済します!

ブッダが説いた「仏教」は、元々「自助努力によって苦しみから脱する」ためのもので、出家し、修行を行わなければ悟りに達することはないとされていました。
しかし、「それじゃ出家できない在家者は救われねーのかよ!!」と考える者が出てくるようになります。

その頃の仏教はとても難しく、一部のエリート僧侶たちのためのもののようになっていました。これだからインテリは困りますね。
しかし、「いや待て。個人が救われるためだけではなく、一般大衆をも救済へと導くのが仏の慈悲ではないのか?」と考えた、一部の僧侶や在家信者たちによって興されたのが「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」と呼ばれる仏教の新しい形です。

さとる
「大乗」とは、文字通り「大きな乗り物」を意味します
いぬ
みんなを「大きな乗り物」に乗せて救うってことだワン

大乗仏教は、それまでの仏教の伝統的なスタイルであった「自分で修行し、自分で苦しみから脱する」ということを「利己的である」と否定し、「他者を救済しつつ、自身も救われる」という利他的なスタイルを実践することを基本思想としました。

また、後年「(ブッダ以外にも)ぜーーったい悟った人いるよね?」とさまざまな仏さまが考え出され、一般大衆にも分かりやすく「修行が無理ならお祈りすれば救われるよ」とする宗派も出てきます。信じる者は救われるパターンの成立です。

さとる
ブッダの説いた仏教は難解すぎました
いぬ
「絶対的超越者にお祈りすれば救われる」という他力の発想なら分かりやすいワンね

密教:秘密の教えって言うとなんかヤラシイ

曼荼羅
▲胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)。中央に座すのが大日如来。
画像引用:Wikipedia

大乗仏教を時代区分した際、中期頃に入ると「密教(みっきょう)」という考え方が現れてきます。
一般大衆に対し、オープンに教えを説いていた今までのスタイルを「顕教(けんぎょう)」と呼ぶのに対し、教団内の出家修行者のみに伝承していくスタイルを「密教」と呼びます。

さとる
「秘密の教え」なので密教です

宗教と言えばスピリチュアルなイメージを持つ方も多いと思うけど、密教はまさに神秘的な宗教体験を通して仏と一体となろうと考えました。
また、以前まではゴータマ・ブッダを本尊にしていたのに対し、密教ではブッダはたくさんの仏さまの一人にすぎず、全宇宙の中心にいるとされる大日如来(だいにちにょらい)を本尊として信仰の対象とするようになります。

さとる
マンダラに描かれた沢山の仏さまを見たことある方も多いはず

日本に仏教伝来

インドから中国、朝鮮を経て仏教が日本へ伝わってきたのは西暦538年頃、飛鳥時代のことです。聖徳太子が仏教導入に尽力した、というのは社会の授業で習うこと。

大乗仏教が中国へと伝わり、そこで漢訳されたものが日本に伝わってくるのだけど、何を思ったのか和訳せずにそのまま使うことになり、漢字だらけでワケわかんねー書物って雰囲気になってしまいました。
当時の中国は強大な国でしたし、そこから頂戴したものは力があると思っていたんだとか。

さとる
和訳すりゃ分かりやすかったのにね

その後、日本古来から続く神道と「いいとこ取り」するような形で融合していき、日本では神さまと仏さまを同時に祀るスタイルになっていきました。
こうして、お寺の境内に神社があったりする不思議な空間が出来たわけですが、外来の宗教が敷地内に入ってきてもOKな日本の神さまはお心が広いということですね。

このことを「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」と言います。テストに出るかもしれません。

その後、独自の変化を遂げ、現在のようなスタイルに落ち着きました。
日本仏教は大きく分けると、一神教的な性格を持つ「浄土系」、中国の禅を参考にした「禅宗系」に分かれます。

さとる
細かく分けると13宗派もあるので、詳しくはまた違う機会に!

北伝と南伝ルート

仏教の伝播には大きく2つのルートがあり、1つはインドからシルクロードを通り中国、朝鮮、日本へと伝わった「北伝(ほくでん)」ルート。
もう1つは、インドからスリランカへ渡り、東南アジア諸国へと渡った「南伝(なんでん)」ルート。

簡単に言えば「北伝」は大乗仏教、「南伝」は上座部仏教が伝わり、上座部はゴータマ・ブッダのオリジナルの教えに比較的近いと言われています。

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まとめ

ブッダ亡き後の「仏教」2500年の歴史を簡単にまとめると、

  • ブッダ亡き後、弟子たちが集い教えを再確認する(第一結集)
  • 100年後、教えの解釈の違いによって大きく2つに分かれる(上座部と大衆部)
  • その後、さらに20ほどに細かく分かれていく(部派仏教)
  • ブッダ以外の仏さまもデビューし、みんな救っちゃう宣言(大乗仏教)
  • オープンにしている教えとは別に、修行者だけにこっそり秘密を教えちゃうよ(密教)
  • 日本に仏教伝来。土着の神さまと一緒になっちゃった(神仏習合)

といった感じです。

細かく書いていくとキリがないので、2500年分をさらっと書いてみました!
それではまた次回!ばいばい!!

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