
はいどーも!さとるです。
みなさんはUFO見たことありますか。ぼくは「らしきヤツ」なら見たことあります。
ハッキリ見せてくれないのがイジらしいですね。どんと来いよ、どんと!
さて、「空飛ぶ円盤」といえば皆さんご周知の通りのアレなわけですが、この名称が「いつ・どこで・誰によって」名付けられたものかご存じですか?いやいや、知ってる人は結構なオカルト好きじゃないですかね、これ。
というわけで今日は「空飛ぶ円盤」という名称が誕生するきっかけになった、「ケネス・アーノルド事件」についてご紹介しましょう!!
Contents
9つの「謎の物体」を目撃しちゃった話

おじさん、9つの飛行物体を目撃する
最初はァお金目的だったんですけどォ
時は第二次世界大戦終結から2年が経った1947年6月24日のこと。
前日から消息を絶っていた米軍機捜索のため、実業家ケネス・アーノルドは自家用飛行機に乗り込み、ワシントン州のカスケード山脈にあるレーニア山付近を飛行していました。


おじさんが見たものはめっちゃ速い
上空2900m付近で、アーノルドは9つの物体を目撃します。
時刻にして午後3時頃。うちのキッズたちが「おやつはまだか!」と叫び始める時間帯です。
北から南へ向けて高速で移動するその物体は、一直線に並び、ジェットエンジンの音はせず、翼もなく、平べったい形状をしていたそうです。


また、アーノルドは物体の飛行速度も計測していて、その速度は時速は約2735kmだったらしい。
1947年6月当時、航空機による最高速度はロッキード社の戦闘機F-80の1003kmであることから、アーノルドの目撃した物体は2.7倍ほどの速度が出ていたことになります。
ちなみに、人類が謎の物体の速度を超えたのは1965年のこと。同じくロッキード社の戦闘機、YF-12Aが3331kmを記録しています。
「空飛ぶ円盤」の命名は勘違いから?

アーノルドは記者会見で、その物体が「水面を跳ねるコーヒー皿(ソーサー)のように飛んでいた」と証言するものの、マスコミにより「コーヒー皿みたいな形だった」と勘違いされ、晴れて「空飛ぶ円盤」("Flying Saucer")という、現在に至るまで使用される伝説的な名称が誕生しました。
なので、名付け親はマスコミということになりますね。

アーノルド自身は円盤型をしていたとは言っておらず、本人も「三日月形」だとしておりました。
しかし後年、「ひょっとしたら円形だったかもしんねぇな」と言っていたとかいないとか。
人間、長い年月が経てば記憶がアヤフヤになるものです。
FBIも調査に乗り出す

マスコミによる「空飛ぶ円盤」報道後、続々と目撃証言が相次いだことから、当時のFBI長官だったエドガー・フーヴァーはUFOの極秘調査を行うプロジェクトを発足します。
しかし、いわゆる「宇宙人の乗り物」としてのUFOではなく、当時のアメリカはソ連との冷戦の最中であったため、目撃されたUFOをソ連の秘密兵器だと考えていたようです。


おぉ心の友よ!親友が調査に乗り出す
アーノルドの親友であり、記者でもあったデビッド・ジョンソンはこの事件の追跡調査を同年7月に行い、アーノルドと同じ空域を飛行中に黒い物体を目撃します。
付近の飛行場の職員たちや、ユナイテッド航空の機長からも同じ物体の目撃証言があり、米空軍によるUFO調査計画「プロジェクト・ブルーブック」はこの目撃事件を「真実である」と結論付けています。


今回のまとめ
1947年6月に起きた「ケネス・アーノルド事件」。これをまとめると、
- 米軍機捜索中、アーノルドが謎の物体を目撃
- マスコミがその物体を「空飛ぶ円盤」と名付けて報道
- 続々と目撃証言が出てきて、米軍が調査に乗り出す
- 親友も調査する
- そして事実として認められる
と、いった感じ。
ちなみに、この事件をきっかけに6月24日は「UFOの日」となったんだそうな。
しかしながら、真実は今も分からないまま。一体、何が飛んでいたんでしょうね!
今回はこの辺でおしまい!それではまたねー!!